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メイコミュTopインタビュー:プロサッカー監督 佐々木則夫さん

カテゴリー:スペシャル
プロサッカーの監督として、いつも日本に明るいニュースを届けてくれる佐々木則夫さん。

すべてを教えるのではなく、考えて決意するチャンスを残す それが大人にできること

プロサッカーの監督として、いつも日本に明るいニュースを届けてくれる佐々木則夫さん。
世界に通用する人材育成を行う指導者であり、一人娘のお父さんでもある佐々木監督に、幼少時代の思い出やご自身の子育てのお話をうかがいました。

PROFILE

1958年、山形県生まれ。帝京高等学校3年次に、サッカー部主将としてインターハイ優勝、高校選手権ベスト4進出に貢献。明治大学卒業後、電電関東/ NTT 関東サッカー部(現・大宮アルディージャ)でプレー。現役引退後は、大宮アルディージャ監督などを経て、2006 年からサッカー日本女子代表コーチ、U-17・U-20日本女子代表監督を歴任。2007年にサッカー日本女子代表監督に就任し、2011年、FIFA 年間表彰式においてアジア人として初となるFIFA 女子世界年間最優秀監督賞を受賞。著書に『なでしこ力 次へ』(講談社)など

自分を卑下するよりも得意なことをアピールし、相手に自分を認めさせる

――佐々木監督の幼少時代のお話をお聞かせください。

僕は山形県の生まれです。両親は、父の仕事の関係で関東地方に出ていたので、小学校2年生までは祖母との2人暮らしでした。一人っ子だったこともあり、祖母に対しては甘えん坊でしたね。祖母が亡くなってから、関東の両親と暮らし始めました。

父が勤めていたのは、土木工事関連の会社でした。仕事の都合上、現場に合わせて居を構えねばならなかったので、小学校卒業までに4回も転校を経験しました。友達と離れるのが嫌で、電車で2時間の長距離通学や、友達の家に居候したこともありました。

また、家には父の仕事関係の人が一緒に暮らすことが多かったのもあって、人見知りしている暇はなかったように思います。小学生時代から、子どもながらに社交性の重要さを感じていたような気がします。

――生活環境が頻繁に変化し、馴染むのに苦労されたのでは?

関東に来たばかりの頃は方言に苦労しましたね。同級生に山形弁を笑われて、言いたいことが言えなくなって。ついには授業中にトイレに行きたくなっても言い出せず、大失敗したこともありました。

それで逆に開き直ることができたんでしょう。「悩んでいても仕方ない。自分の嫌なところはすぐには直せないんだから、得意なことで自分を認めさせればいい」と気づいたんです。

佐々木則夫さん

それ以降、転校先では学校一の俊足に50メートル走の勝負を挑むようになりました。足の速さには自信があったんです。大概は勝てたのですが、負けたときには距離を延ばして再勝負を挑みました。これに負けることはありませんでした。

こうして同級生に「あいつは足が速い」と認めさせることで、方言を笑われても自分を恥ずかしいとは思わなくなりました。

不完全燃焼の中学校時代を経て、トップを目指すための進路を選択

――サッカーとの出合いについて教えてください。

僕が小学生の頃は、サッカーはさほど人気があったわけではないのですが、3回目の転校先がたまたまサッカーの盛んな学校だったんです。もともと野球や柔道が好きなスポーツ少年でしたが、一気にサッカー好きになりました。転校が多いのはつらかったですが、サッカーと出合えたのは幸運でしたね。

――中学生時代はサッカーに励まれたのでしょうか?

やる気は十分でしたが、大きなケガをして、サッカーはあまりできませんでした。そんな、不完全燃焼の中学生時代だったので、進路選択のときに、「中途半端はダメだ。トップを目指そう。サッカーで全国選手権に出場できる確率の高い高校へ行こう」と決意したんです。それから自分でいろいろ調べて、学校の先生に相談して、当時約8割の確率で全国大会に出場していた帝京高校を目指しました。

両親には自分でほとんど決めてから相談しましたが、特に反対はされなかったですね。両親からは、勉強を含め「○○しなさい」と言われたことはないですね。門限について約束をさせられたくらいで、それが逆に「自分で考えて決断する」習慣につながったのかもしれません。

――そして帝京高校サッカー部に入部、3年次には主将も務められました。

当時、サッカー部の監督は、9回の全国制覇を成し遂げた古沼貞雄監督でした。古沼監督で印象的だったのは、「教えすぎない指導」でした。基本的な指導のほかは、あまり細かいことをおっしゃらない。その分、選手たちは自分で勉強してイメージを膨らませ、話し合い、動くようになるんです。僕が主将をしていたときは、練習メニューを任せてくれたりもしました。監督からのアドバイスをもとに、グループ分けをして、練習内容を組み立てていくのは興味深かったですね。そういったこともあって、「将来は学校の先生になって、サッカーの指導をするのもいいな」と考えていたことも、大学に進学した理由のひとつでした。

子どもが考えてやったことは、小さくても評価するのが大切

―― ご自身の子育てにおいては、どのようなことを大切にされてきたのでしょうか?

佐々木則夫さん

「本人の判断を消さないこと」です。子どもには、勉強を含めて「○○をしなさい」とは言わず、考えさせる機会を残しておきました。「お前の人生はお前のものだ。高校までが義務教育だと思っているから、そこまでは面倒を見る。でもその先は自分で考えなさい」というスタンスでした。そして子どもが、「自分で調べて、考えて、行動する」という社会に出たら当たり前のことをしたときには、どんな小さなことでも必ず評価をするようにしていました。子どもの判断を即座に否定すると、考える気力を奪ってしまうからです。

これは、親があれこれ言いすぎないほうがいいという妻の意見でもあります。ただ妻からは「あなたは言わなさすぎ」と注意されていましたけれど(笑)。そこは家族でバランスを取っていけばいいと思います。

――最後に、読者へのメッセージをお願いします。

子どもはとてもかわいい存在ですが、「親の身代わり」ではないんですよね。子どもに「こうなって欲しい」という気持ちは親なら誰でも持つものですが、「子どもの人生は子どものもの」であることを忘れてはいけない。「これはどう? あれもいいんじゃない?」と、子どもの選択肢を増やすような、いろいろなチャンスを与えてあげるのはよい。でも、親が親の考えで結論、評価を出すのはよくないと思います。あくまでも、子どもが大人になったときに、どれだけ自尊心がしっかりして、社会に対して溶け込んでいけるのかが大切なのではないでしょうか。

メイコミュ限定エピソード「家族との誕生日の過ごし方」

ナビゲーターのダイスケが聞きました!
ナビゲーターの
ダイスケが聞きました!

サプライズ好きで知られている佐々木監督に、ご家族とのお誕生日の思い出についてうかがいました。

「家族でクリスマスの食事をするときに、まずごく普通の飲食店へ連れて行きましてね。そのあとで、内緒で予約しておいた“素敵な店”へ連れて行くんです。妻も娘も私のサプライズを期待をしていますから、最近では一度落として感動を高めるようにしています(笑)。

娘の誕生日には、ディズニーランドのシンデレラ城の入り口で写真を撮ったことがあります。2歳くらいのときと、5~6歳のときと、大きくなってからの3回です。まったく同じ場所で撮影したものを自宅で並べて飾っています。娘の成長が順を追ってわかりますから、よい思い出になりましたね。いずれにしても、なるべくお金をかけないで、それでいて家族がグッとくるようなものを考えています。」


こちらの記事は、明光義塾と保護者をつなぐ情報マガジン『CRECER(クレセール)』2014秋号でもお読みいただけます。

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